暖かな日差しの中をゆったりとした気分で散歩を楽しんだ。愛犬を亡くしてもう三年が経とうとしているがやはり散歩道は愛犬と一緒だったあぜ道を、野原を、小高い丘を歩いていた。それも「ここでカエルさんの親子をみつけたね」とか「急にムカデが出てきてビックリ!したね」とか、さもまだ愛犬と一緒に散歩しているかのようにお喋りをしながら歩いては立ち止まり、立ち止まっては歩いての散歩だった。
十六夜月が昼間の散歩の楽しさを余計に盛り上げてくれているかのように明るく美しく・・何とも言えない宇宙の大自然を見せてくれているようだった。
こうして季節は動き、木蓮の花が、梅の花が、水仙の花が、河津桜の花が咲き誇っているのに、安心よりも不安の方がまだ多く残るのは私だけだろうか。
この一年を振り返っても、コロナに始まり、コロナ、コロナ、コロナで道筋が見えないままの【卒園の時】を迎えている。それでも子どもたちとの【思い出】はたくさん作ることが出来た。何もかもが中止・・と言う声を聞く中、当園では 子どもたちとの触れ合いを大切にしながら行事(七夕まつり、夏まつり、キャンプ、運動会、遊戯会等々)も各学年ごとに、午前、午後、午前、午後と何日かに分散して行うことが出来た。
子どもたちの思い出に残るためなら・・子どもちが喜んでくれるなら・・の思いでやり遂げた。職員はきつかったと思う。大変だったと思う。(実際、私もきつかった)それでも「楽しかったです。分散して行ったので子どもたちの顔が、動きがよく見れて良かったです」の声を聞いた時、幼稚園の先生(私の事)としてとても嬉しかった。
まだまだ出口の見えないコロナ。それでも長い人生の中で子どもたちが「自分たちの時代って大変だった」という事を次の世代へとつないでいく頃にはコロナも終息していることだろう。コロナ禍の中での「卒園式」もいい思い出としてとらえていきたい。