Vol.103

2011.05.09 Up

☆彡。。・・長かったトンネル・・そして、今〜!・・。。☆彡

 若葉・青葉が5月の風に吹かれてキラキラと目に飛び込んでくる。その中に赤やピンク、白のつつじの花も艶やかに咲き誇っている。山々にはふじの花が木々にツタをからませて淡い紫色をのぞかせている。我が家から見えるゴルフ場の芝にも、朝日が・・夕日がまばゆく降りそそぐさまは至福の一時である。とても、日本で起きた震災の苦しみ、嘆き、暗さ・・とは縁がないようにみえる。
頑張ろう!日本! 立ち上がろう!日本! 世界はひとつ!のスローガンのもとに復興作業が始まったが、先が見えない支援に、もどかしさを覚える日々でもある。
しかし、長いトンネルも、長い冬も、長い強風も、悲しさ、辛さ・・も、必ず抜け出せるときがくる。
必ず!その時がくる!

我が愛犬(しょうちゃん)の、アジリティーの競技大会があった。ダックスで足が短いしょうちゃんが他の犬と同じ高さのハードルを跳んだり、シーソーを登って、降りて、トンネルをくぐったり、タイヤを跳んだり・・とても不利ではあるがそこは練習量で何とかこなしている。メダルもたくさんとらせていただいた。そのしょうちゃんがある日突然、Aフレーム(英語のアルファベットのAの形をしている角度のある山)を登らなくなった。その日を境にピタッ!と登らなくなったのだ。クラブの訓練士の先生もあの手この手で一緒に練習してくださった。夜7時近くから練習を始めて・・来る日も、来る日も練習だった。
そして、やっと登れるようになって「これで大丈夫!」そう思って、大会に臨むが、大会ではやはりAフレームの前に来るとピタッ!と止まってしまう。失格である。何で?あんなに練習したのに・・練習では登れるのに情けない気持ちでいっぱいだった。私の体力は限界に達していた。仕事・練習・整体の毎日の中で【引退】の二文字が焦りと共に浮かんでいた。
夜の練習・・ライトに照らし出されて走るしょうちゃんと私。練習を見守って下さる先生。そして、しょうちゃんにとって春の最後の大会となった。その時も「あれだけ練習したのだから!」と自信を持って臨んだ大会だったが・・帰りの車の中の空気が重かった。そして、次の日「今日が駄目だったらほんとに引退だ!」情けない気持ちを打ち消し、開き直った気持ちで会場に入った。
しょうちゃんの名前が呼ばれてスタートライン立つ。笛の合図とともに走りだした。いつものように元気よく飛び出して行った。色々な障害物も難なく飛び越えて行く様は普通のしょうちゃんだった。そして・・問題のAフレームの前に来たやはりピタッと止まってしまった。
しょうちゃん!登って!毎日、練習してきたやろー!」競技中にも関わらず大声で叫んでいる私がいた。その声に押されたかのようにして、しょうちゃんがAフレームを登りあがって行った。私は茫然として両手を高く上げて【万歳】をしていた。走り始めたしょうちゃんをリードしていくのにどのコースを走って、どのようにリードしていったか・・涙で顔がクシャクシャになりながらゴールをしていた。見守って下さっていた会場の方々からも大きな拍手をいただいた。クラブの先生からも大きな拍手を・・ねぎらいの言葉をいただいた。
あんなに苦しくて長いトンネルを経験したことはなかった。諦めの気持ち・引退の気持ちが日々増していく。悩み、苦しみ、練習に行くことすら嫌になっていた。何で?何で?の毎日だった。

嫌になったあの時・・諦めていたら・・引退していたら・・今、私に残るのは後悔の念だけだったと思う。こつこつと諦めず、ひとつひとつを丁寧に確実にしょうちゃんを信じて、自分を信じて、指導してくださった先生を信じて・・
いつかきっと!いつかきっと!と思って頑張ったことが長いトンネルから抜け出すきっかけになったと思う。ひとつひとつは小さなことかも知れないが、ひとつひとつがやがて大きな力になっていく。私の愛犬のことと今回の震災を比べるには値しないかもしれないが、ひとつひとつを大切にしてどれくらいの時間が・・月日が・・年月がかかろうとも【希望】を【】を持って頑張って欲しいと願っている。