Vol.058

2006.11.28 Up

☆・・。。い・じ・め・の・。。・・☆

 いつごろからこのいじめという言葉が使われだしたのだろうか。
いつごろから陰険ないじめがはじまったのだろうか。人を死に至らしめるまでのいじめ・・・
中学生の自殺を機にいじめのことが取り上げられてそこに集中しているが、いじめは中学生になってから急にでてくるものではない。友だちの好き嫌いや、自分が気に入らないこと、自分の思うとおりにならないとき、子どもたちがだだをこねて自分のわがままをとおそうとするとき・・もうここでいじめの芽は根付いているものである。幼児期からいじめの芽は芽吹いているのである。
だから幼児期にしていいこと、悪いことを身につけさせておかねばならないのである。友だちといっぱい遊び、喧嘩もして、仲直りもして、おしゃべりも、失敗もしていいのである。登園拒否も出てきて当たり前のことである。幼児期に何でも経験させこそ辛いことや、苦しいこと、悲しいことを乗り越えていく力が育つのである。
逆に褒めてもらったり、何かに挑戦をしてそれらがクリアーできたときに、やったぁ〜!という達成感、充実感、認めてもらった喜びや感動が人を愛すること、自分を愛することにつながっていくのである。
これらは幼児期にい〜っぱい経験させておくべきである。大人・・思春期になってからでは容易ではない。人の土台となり、基礎となりうる幼児期の大切さはみんながわかっているのに政治も幼児教育の大切さを説こうとはしない。教育審議委員会にも誰も幼児教育の専門者をおかない。机上の専門ではなく現場の専門者が誰もいない。大事な人生の基礎を作る幼児期なのに。

 いじめ・・中学生(義務教育)にばかり目を向けないで【幼児教育】に目を向けて欲しい。中学生はいじめそのものが悪いということはわかっているのである。わかっている上でするというのは幼児期にそれは悪いことなんだということを身につけていないからである。小さいころに周りの人たちにいっぱい愛されて育った子は人をいじめたりしないものである。愛されることが身についているから人を愛してあげることができるのである。

 いじめ・・中学生になって急に芽吹くものではない。人は誰も人を、自分自身をもいじめる要素をもっている。それを幼児期に摘み取ってあげることが我々大人に課せられてる大きな大きな役割なのだ・・と私は思う。
もっと、もっと幼児期に目を向けてほしいと願うのは私だけだろうか。