Vol.035
2005.06.26 Up

☆彡。。・・。。私(園長)の独り言。。・・。。☆彡

  今日もうだるような暑さ!が、パァ〜と広がっている。一雨も、二雨も欲しい日々である。
広がった青空を仰いでは、ため息をついている。こんな思いは私だけだろうか。
こんなに日照りが続くと野山の動植物もさることながら、人の心までもが渇いてしまう。
そんな中、昨今の怖い事件が、当たり前のように報じられて、当たり前のようにテレビに映し出されて、
当たり前のように話題に上って・・・
本当はとても怖いことなのに、あってはならないことなのに、他人事のように報道されている。
また受ける側も「またか」という流された見かたをしているような感がする。
何故、日本はこんな事件が横行するようになったのだろうか。いつの頃からこうなってしまったのだろうか。
人が人を殺める、親がわが子を殺める、子が親を殺める、兄弟さえも・・・母親が夫婦喧嘩の腹いせでわが子をベランダから投げ落とす。
自宅で大麻の栽培をしていた大学生、覚せい剤の売り買いの金銭問題が原因で糸も簡単に首をしめて
殺めた。いまだに後を絶たない俺々詐欺・・・
こんな事件が毎日のように報道されるとは誰が想像し得たであろうか。
文明の利器は大きな発展をとげた。その裏で我々(私)の心はどうだろうか。
自分自身を、友だちを、周りの人たちを包み込むような大きな包容力が身についただろうか。していいこと、
悪いことが判断できるだろうか。

この時代の中(環境)で育つ子どもたち。
優しい子に、思いやりのある子に、元気な子に、明るい子、健康な子、素直な子に育って欲しい・・・と願いながら、果たして我々大人は・・大人自身が子どもたちの見本となっているだろうか。
子ども同士の喧嘩なのに大の大人が介入してくる。子どもは小さい人のことである。
大人は大きい人である。体だけしか大人になれなかった人は、いつまでも子どもの喧嘩に介入してくる。
心も体も大きくなった人は子どもの喧嘩には介入などしなくても【何でも経験】と暖かく見守ることの出来る人である。
木の上に立って見ることの出来る人(親)である。
子供同士の喧嘩は戦いごっこを好む年齢(ギャングエイジ)のうちにさせておかねばならない大事な学習なのである。この学習(経験)を取り上げてしまっている。
もっと、もっとこの学習を身につけることの出来る場を提供していかねば!と痛感する毎日である。
嫌な事件・事故がなくなることを切望しながら・・!