☆彡。。・・。。子どもたちの顔・・・遊び。。・・。。☆彡
五月晴れの中、子どもたちと一緒に遊んだ。砂場で遊んで、すべり台で遊んで、鉄棒で遊んで・・・子どもたちの顔がキラキラ輝いている。どの子の顔も笑っている。どの子の顔も真剣だ。
ボールを追っかけたり、虫を捜したり、団子をつくったり・・・
その中に教師も「入れて〜」と入ってくる。
「いいよ〜」また遊びが展開していく。あまりにもみんなが遊びに夢中になっているので、午前中は幼稚園全体を遊びの時間とした。
部屋の中を見ると紙遊びにも夢中なっている。
手裏剣つくりに、マジレンジャーのベルトつくり、新聞紙を上手にくりぬいて「これお洋服よ」と女の子が服を見せあっている。
砂場で遊んでいた子が水を汲んできて、それからは水遊びが大盛況になった。
遊んでも、遊んでも子どもたちは疲れを知らない。
子どもたちのバイタリティーについていけなくなった。
私はカメラの係りになった。レンズを通して見る子どもたちと、生で見る子どもたちの表情は違う。でも、カメラを向けられていることすら気づかずに、真剣に遊んでいる子どもたちの顔は、表情は何も変わらない。やっぱり子どもたちは遊びの天才である。
大人は何をして遊ぼうか・・・と、まず遊ぶこと自体を考える。子どもたちは何をして遊ぼうか・・ではなく即遊びだす。外に走りだしていくこと自体が遊びである。紙を選んでいること自体が遊びである。全てが経験で全てが学習である。
子どもにとっての遊びは学習そのものである!ということがよくわかる。
子どもたちは遊びを通して学習をしている。遊びを通して仲間つくりをしている。ときには喧嘩も生じる。喧嘩が生じる・・ということは子どもたちの感情が育っている証拠である。その年齢に経験しておかねばならないことがある。喧嘩もそうである。
幼稚園のこの時期の年齢の子のことをギャングエイジと言う。戦いごっこを好む年齢である。また模倣期とも言う。お父さん、お母さんの真似を・・友だちの真似を・・先生の、大人の真似をする。
だから私たち大人は責任がある行動を、子どもの目の高さ(心)をしっかりと把握しておかねばならないのである。私たちは子どもの年齢を通り過ぎて大人になった。子どもたちはまだ我々の年齢を知らない。だから、我々が子どもたちの目の高さ(心)になるのである。 |