ある雑誌に京セラの名誉会長・稲盛氏のことばをみつけた。
「人生の目的・・心を高めるために」
このことばは今の私に投げかけられているように感じた。
★ただ一つ滅びないもの
私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。
生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性(さが)です。ほうっておけば、私たちは際限なく財産や地位、名誉を欲しがり、快楽におぼれかねない存在です。
なるほど生きている限り、衣食が足りていなくてはなりませんし、不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。立身出世を望むことも生きるエネルギーとなるだけに、一概に否定すべきものでもないでしょう。
しかし、そういうものは現世限りのもので、いくらたくさん溜め込んだとしても、どれ一つとしてあの世へ持ち越すことはできません。この世のことは、この世限りでいったん清算しなくてはならないのです。
そのようななかで、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは「魂」というものなのではないでしょうか。
死をを迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなければなりません。だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。
★試練は絶好の機会
俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、自分の人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。
昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。その弛まぬ作業、地道な営為、つつましき求道に、私たちが生きる目的や価値が、確かに存在しているのではないでしょうか。
生きていくということは、えてして苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏をうらみたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき人生だからこそ、その「苦」は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。人生における苦労とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、またさらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人―――そういう人こそが、自らの限りのある人生を、豊かで実り多いものとすることができるのみならず、その周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。
生まれたときより、少しでもましな人間になる・・・このことばに感銘をうけました。
果たして私は「生まれたときより、ましな人間」になっているだろうか・・・
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