・ 。・☆ ・。・大いなる再出発のために・。・ ☆・。・
人間は、だれでも死にたくなるほどの絶望、挫折、失敗、敗北、孤独、懊悩(おうのう)などの体験をもち、また、いつこのような試練と再び出会うとも限らない。
しかし、この試練を恐れてはならない。私たちは、大いなる恵みの中で、生かされる条件の中でこの世に誕生し、必要なものは必ず与えられる営みの中で呱々の声をあげたのである。人間は生きられるようにつくられているのである。
生きることは、生まれてから死ぬまでの長い道程である。しかし、たんなる継続ではない。
七・五・三の宮詣りが示すごとく、私たちは節目節目のもつ意味を経験しながら、また、人生の喜びも悲しみも味わいながら、人生を積み重ねているのである。その間の試練は必ず乗り切れるよう、神の子、仏の子として始まった
いのちの誕生を、生涯忘れてはならないのである。それが人間生活の原点なのである。
人生の節目は、常に「人生、今からだ」という新鮮な再出発を繰り返しているのである。この節目を活かすか、流されるか、自滅するか、決めるのはあなた自身である。乗り切れる試練ならば喜んで正面から受け止めていこう。
「試練よ、ありがとう」という気持ちになれたら、道は必ず開けるものだ。
倉田百三は「誠実なる青年時代の苦しみを経験した者でなければ、心豊かな老いを迎えることはできない」と書き残しています。
人生の試練や苦しみを味わうことは不幸や不運なのではない。心豊かな人生、おだやかな老後のための貯蓄のようなものである。
人生経験の中で、誰もが迎える「死」ほど不思議なものはない。だれもが、おだやかに迎えたい終着駅であある。親鸞聖人は「臨終の念仏」といわれているが、最後の人生勉強は「ありがとう」の一語に尽きるのである。
これは一燈園同人の石川洋先生の『人生今からだ』の本の中から引用させていただいたものです。人は何事も経験してみないとわかりません。辛いことも、苦しみ、別れ、痛み、悲しみ、嬉しいことも、幸、不幸も、熱い、冷たい・・これらを試練として乗り越えた人が、はじめて人の痛みや、苦しみ、辛さ、悲しさ・・をわかってくれる人です。こんな人が心豊かになっていくのです。
自分の人生を生き抜くことができるのです。
そしてやがて訪れるであろう老後の生活も豊かに乗り切っていくことができるのです。
なんでも【経験】でなんでも【試練】で今の時代を乗り切っていきましょう。
道は必ず開かれていく!
そう信じて試練を乗り切っていきましょう。
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