Vol.011
2004.05.18 Up

 ・。・ひとつ・。・「1」の大切さパートU

さわやかな五月晴れの中に今年も紫陽花のつぼみがだんだんと膨らんでいく。
この紫陽花は何年か前に鉢植えを買ってきたものだが、そのときは茎も2本ぐらいしかなかった。花が終わって路地に植えかえるとグングンと大きくなり今ではいくつもの大きな花を咲かせてくれるようになった。

今年も大きな花を咲かせて私たちの心を和ませてくれるだろう。

あのまま鉢の中で一年を過ごさせていたらこんなに大きくはならなかっただろう。大きく育つどころか枯れてしまったかも知れない。

これは子どもたち(我々)にもいえるのではないだろうか。

狭い中で窮屈に育ててはいないだろうか(教師の貧弱な知識・貧弱な心、偏見、工夫のなさ、積極性のなさ・・などなど)
外に飛び立っていくチャンスを見逃してはいないだろうか。
同じ場所で教師がやりやすいように管理監督をしていないだろうか。
常に子どもたちに教師のほうを向かせようとしてはいないだろうか。
教師自身が子どもたちの所に行っているだろうか。
形にはめ込んでしまってはいないだろうか・・・

私はスイカは丸い(球状・・楕円形のものもあるが)と言う概念がある。
でもこのスイカを小さいうちに四角の箱の中に入れて育てると四角のスイカが出来あがる。まるでサイコロのようである。私はこの形にはめ込まないような保育をしているだろうか。

子どもたち、職員がチャンスに向って飛び出そうとしているものを押さえつけてはいないだろうか。
自分で考えることが出来る【】に自らがなりたい!なろう!と努力しているだろうか。

自己満足になってはいないだろうか。自分自身が襟を正して前進していきたいものである。

アテネオリンピック出場を決めた女子バレーボール部の監督・柳本さんのインタビューの中に
「バレーはチームワークですが、個々が出来上がっていないとチームワークでプレーをすることは出来ません」
と、おっしゃったことばにうなずきを覚えた。

全体を見ていると出来ているように見えるが、一人、ひとり、一人の見直しをしていくと出来ていないところ(子ども)が見える。
一人が出来ていないのに全体が出来ているはずがない。

オーケストラでも同じである。ひとつ、ひとつの楽器の持ち味がしっかりと生かされてはじめてオーケストラとなる。美しいハーモニーとなる。

最初にかいた紫陽花の花も、花、ひとつ、ひとつは小さいものであるが、この一つの花が、ひとつ、ひとつ咲いてはじめて てまりの ような花になっていく。これもひとつのかたまりである。

今日は天気がいいので「あさがお」の種を植えた。子どもたちが小さな手で土を鉢に入れて、また小さな手で一粒、一粒、植えていく。
やがて種から芽が出てふたばになって・・・
そして夏の風物詩のように あさがお は、咲いていく。
その間、子どもたちは毎日、まいにち、毎日、世話をしていく。

「せんせい、あさがおさんの芽がでたよ」発見した喜びも味わえる。
それも一日、一日の世話の中から生まれてくるものである。
お茶碗の中に盛られたごはんも同じである。一粒、一粒の米の集まりがご飯一膳となって盛られているのである。
あげればきりがない。

・・小さな数字かも知れないが  を大切にして日々の保育に当たっていきたいものである。園児も一人、ひとり、一人の集まりでたくさんの園児数となっていく。
さぁ〜また気持ちを新たにして歩いていきたい。一歩、一歩を大切にして!

=平成16年5月18日 美和台幼稚園 永島美智子=